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小関越え
山科側 旧道:819m
平均勾配 旧道11%
標高 206m
山科から大津へ国道外しのルートと言いえば小関越えです。
旧道は険しいですが、琵琶湖疏水 第1竪坑のそばを通過でき、近代史のお勉強にもなります。以下フル転載です。
琵琶湖疏水は,明治維新で東京に都が移り,活気を失っていた京都の復興を目指してつくられたもので、明治18(1885)年に,第1疏水の工事がはじまりました。第1疏水の第1トンネルは、大津の三井寺下 と藤尾 の両側から掘りすすめられました。同時に、藤尾側から約740m(第1トンネル全長の3分の1の地点)のところに第1竪坑を掘り下げ、その底から大津の三井寺下・藤尾の東西両側の出入り口に向けて掘り進め、東西のトンネルが貫通しました。このようにして明治23(1890)年に完成した第1トンネルは,当時日本で一番長いトンネル(全長2,436m)となりました。
竪坑とは,地表から垂直に掘り下げた坑道で、工事の促進・換気・採光のためにつくられました。竪坑の深さは約50mあります。また,地上から5.5mまでの坑口上部は、直径5.5mの円形、 それ以下の部分は3.2m×2.7mの楕円形になっています。
琵琶湖疏水工事の責任者であった田邉朔郎 *は,昭和14(1939)年、疏水工事を振り返って「一番苦しんだのは竪坑ですけれども、それと同時に工事上で安心を与えてくれたのがあの竪坑です」と語っています。
なお、 平成8(1996)年6月には,第1疏水のトンネル (第1、第2、第3)の各出入口 、第1竪坑 、第2竪坑 、 第11号橋 (本邦最初鐵筋混凝土橋)、山ノ谷橋 、蹴上インクライン 、南禅寺水路閣 の12箇所が国の史跡 に指定されました。
日本海側の現場へ出張中です。
こちらもノスタルジックな建造物がお出迎えしてくれました。
敷地内の工場を改修工事中です。
タイトな工程と遠方だけにリカバリーが効かないですが
ご安全に!